タイで鶏を絞める

東京の普通の環境で育った。たぶんかなり食に恵まれて生きてきている。贅沢をし、好き嫌いをし、時に食べ散らかし食べ残し、美味しい食べ物に囲まれてきた。

洋菓子の専門学校に行き、食品メーカーの研究所で働いたあたりから、食べ物を捨てることにあまり躊躇がなくなってしまった。もちろん心が痛まないわけではないが、わたしが担当していた業務用の研究では工場で作るデザートの試作などとても食べきることができない量を作ることが必須だったわけで、美味しく食べられるものを捨てることに慣れてしまった。友達のお父さんの畑を手伝わせてもらったときにも、傷んだ野菜はどんどん捨ててしまえという農家ルールにあっという間に馴染んでしまった。こんなにも簡単にも慣れてしまう自分の適応力に愕然とする。

タイ料理のカフェを閉じてから、なんとなくイベントをすることになり、タイ料理を通じたコミュニケーションをテーマにしたイベントをしたくて、トムヤムクン、ソムタムについて、歴史やレシピ、人のもっているイメージなど様々なことを調べているのだけれど、次にガイヤ―ン(タイの焼き鳥)を調べたいなぁと考えた。

タイで有名なお店でガイヤーンを頼むと、だいたい丸焼きされたものだ。生き物感がかなり強いビジュアルで、食べると身が引き締まっていて元気に動き回っていた生前の姿が容易に想像できる。

ガイヤーンを調べるならばどうしても、鶏自体を考えることは避けられないと思った。鶏を絞めること、やってみたいなと。

インターネットで調べると色々なサイトが見つかる。絞め方や体験談などどれも鶏=命を重々しく扱っているページばかり。そうか、そういうことなんだろうなと思った。

日本で鶏を絞めるのは、場所や生きた鶏を手に入れること、絞め方を知っている人の手配など、用意が大変そうなので、バンコクの友達に相談し、市場で交渉するよと言ってくれたので、旅行中にチャレンジすることにした。

 

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場所は、バンコクの日本人街からもタクシーで10分ほどのところにあるクロントゥーイ市場。ここは24時間営業していて、レストランをやっている人たちも買い出しによく来るとても大きな市場だ。いつも買い物客で賑わっている。バンコクに住んでいた頃、夜遊びをした帰り道にタクシーの中から生きた鶏を運び出している姿を見かけたりもした。

 

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写真を撮ってもらおうと、タイ人の友達カップル以外に3人の日本人に声をかけ、計6人と大所帯となった。鶏を絞めた後は、友達のスタジオのテラスでバーベキューパーティをそのまましようと、貝や野菜やタイソーセージなんかを買いつつ、市場の一角に向かう。

 

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途中、建物の外、屋根もないところにテーブルを出し肉の処理作業をしているお姉さんたちに写真を撮らせてもらったりもした。

 

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生きた鶏がいる場所は、市場の一番端。作業場となっている一画で、にぎやかな人通りも少しずつ減り、その分鶏の鳴き声が聞こえてくる。鶏たちは元気で、かごに閉じ込められている。

 

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これからわたしがこの中のどれかを絞めるのだと考えている間、友人が話をつけてくれ(ものの10秒)、kgあたり70バーツと手数料40バーツでいいよと言われた。きっと慣れているんだろう。

鶏の鳴き声を聞いてしまい、びびったわたしは、店先にいる大きな鶏ではなく、奥の方の人目にあまり触れないところのかごの中の一番小さな鶏にしてくれとお願いした。2キロ、合計180バーツ約800円弱で鶏を絞めるという体験を買うことになった。安い。

絞めるところを撮影してもらおうと、カメラ担当を3人も呼んだのに、タイループメダイ(写真ダメ)と言われ、みんなすごすご引き下がる。なんのために呼んだのかわからない。

店の奥に入ると、鶏の頭と足を2人の男の人が持っていて、ナイフを渡され、首を切れとジェスチャーで言われる。その先には3人の男がわたしをにやにやと見ていた。

 

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白いワンピースを着てきたわたしは、返り血を浴びないかなどいくつか聞いたけれど、無視される。一回首にナイフを添えたけれど、躊躇してしまい離しまった。男たちは思いっきりため息となんやかんやと悪態をつき、足を持っていた男が呆れながら次の人に変わった。あぁこの人たちは仕事で毎日鶏を絞めていて、怖いなどというリアクションは失礼なんだと気づき、その次はえぃと首にナイフを入れた。

 

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ポタポタと申し訳程度に血が数適床に落ちるのを見ていたら、あっという間に鶏は空の鍋の中に運ばれた。何をしているのかわからなかったが、少し経った後にもう一度首の血管を切って逆さにしているところを見て、血を抜いているのだとわかった。そしてわたしのナイフでは致命傷にならなかったんだな、苦しませて申し訳ないなと思った。

そして湯だった大鍋に入れられる。ネットで見た毛穴を開かせて羽をむしりやすくするという工程だとすぐに理解した。その頃には少し冷静になって(ずっと冷静ではいたけれど)周りを見回すと友人がだれもいない。店の外にいたので、少し感想を言いに一度外に出る。

すぐに戻ると、今度は鶏が大きな丸い銀色の機械に入れられていた。大きな洗濯機みたいなもので、毛穴を開かせた鶏を入れると遠心分離で羽がむしられるというわけだ。

 

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1分程で丸裸にされた鶏は、内臓を抜かれ、あっという間にオーダー通りの4等分になってビニール袋に入れられて、わたしの手元に。

わたしが躊躇する時間を除けば、5分もかからない見事なスピード技だった。

一人の友達は遠くからこっそり写真撮影をしてくれるためにちょくちょく店の奥に来ていたが、他のみんなはほとんど外にいて、その理由を聞いたら匂いがすごいからとのことだった。集中していたからか、わたしは一切匂いに気づかなかった。躊躇はしたものの、インターネットで見たような命なんだとかそういう感動や重さは特になかったし、友達たちにもなさそうだった。こういうもんなんだとすんなり受け入れられてしまった。次に絞める機会があったら、苦しませないであげたいから躊躇なくもっと上手にナイフを入れてあげたいとは思う。

 

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友達のスタジオに持って帰り、炭を起こし、下味をつけてバーベキューにする。顔もついたままじっくりと焼く。生の時には閉じていた目は、焼いている途中で少し開き、水晶のような瞳でじっとこちらを見つめ、そして焼ける頃には白く濁り何も見えていないただの皮膚のようになっていた。ゆっくりと目が開いた時は、まだ意思を持っているように感じられ少し緊張した。

焼きあがった肉はぷりぷりで美味しく(タイの鶏肉は放し飼いで育てられるらしくもともと美味しい)、みんなで分け合って食べた。とても楽しいパーティーだった。ホームパーティーが終わった後には、まだ頭と数か所が残っていた。