友達のお父さん

友達のお父さんが亡くなった。

ここ数年会っていなかったが、以前は元農家のお父さんのやっている本格的で大規模な家庭菜園の手伝いによく行かせてもらっていた。そのたびに、娘曰く人付き合いがあまり得意でなく、まじめなお父さんに、その当時は今よりもっと素直にふるまえていたもちまえの図々しさで、野菜のことやその土地の話、友人の家族や昔話などたくさん聞いたものだった。春にはお茶の葉を刈り(ただ刈るだけだし、素人仕事でへたすぎて周りの完璧な畑と比べて恥ずかしいと言われ)、梅雨には庭になる梅をもいで(梯子でフラフラになったり、木を折ったりしながら)、夏にはたくさんの野菜を収穫し(お父さんが手入れしてくれた野菜をただ収穫するだけ)、秋の花を見、冬には薪で米を蒸し木の臼で餅をつき(なってないと言われ)、そんな農家の生活体験を少しさせてもらった。数十年前ごぼう畑を掘っていたら縄文土器の一部がでてきた話や、所有している山の土を湾岸地区の埋め立てのために売った話とか、新宿から1時間ほどで行ける場所なのにまだイノシシがいたり、親戚に畑を貸したらどんどん浸食されていったり、冗談みたいな話をたくさんしてくれた。

タイに住んでいる一年間どうしても処分できなかった本と食器を保管してもらっていた蔵からは、十数年前の自家製の素材を加工したお茶やゴマやウコン、数年前に亡くなったお母さんが作ったイチゴのジャムが発掘されたり、時空を超えた体験をたくさんさせてもらった。

お父さんはわたしたちが遊びにくることを、とっても楽しみにしてくれていたそうだ。近所との交流は数年前に亡くなったお母さんが主にやっていて、シャイなお父さんは必要以上には人と交流をしなかったらしいう。図々しいわたしが、「おとーさーーーーん」と遠くから叫ぶのを、友人の妹の小さな孫の姿と重なって親しみを感じてくれたのかもしれない。不義理にも遊びに行かなくなってしまった数年は、3人姉弟の孫たちや娘たちが体を悪くしたお父さんをよく訪れていたそうだ。よかったなと思う。心臓が悪いけれど、自分と娘、孫たち(プラスわたしたち)が食べる季節の野菜を作って、庭の昔からある果物や花の木の手入れをして、先祖やご近所の行事をして、夜は少しのお酒を飲んで寝る。目の前の日々のことを一つ一つまじめにこなし、多くを望まず、そんなに多くない大事なものをぎゅっと大事にしている人にわたしには見えた。刺激ばかりを追い求めているわたしにとっては、実直で素朴なことがどんなに素晴らしいかと、お父さんが気づかせてくれた。日々の生活や、すぐ近くの自然、季節の移り変わりの中にどれだけたくさんの刺激があるのか……。忙しい日常の中だとついつい見逃してしまうことばかりだが、それらの刺激はとても毎日を豊かにしてくれるなぁと。

いつもしてもらってばかりだったけれど、何度かご飯を作って一緒に食べたりもした。お父さんが作ってくれた採れたての白菜を使って豚バラと挟んで蒸すだけと、簡単で素材頼りのメニュー。とても美味しかった。たぶんこれからこの白菜と豚バラのミルフィーユ蒸しを作るときには、お父さんのことを思い出すと思う。

ご冥福をお祈りしています。

 

 

〈白菜と豚バラのミルフィーユ蒸し〉

①縦に1/8割した白菜の葉を一枚一枚ばらばらにする。

②白菜の葉と豚バラ肉を交互に重ねて、鍋の深さに合わせ包丁でカットする。

③鍋に②を詰めて蓋をして火にかける。白菜からでてくる水分で蒸し煮にできる。

④火が通ったらポン酢やゴマだれをつけて食べる。